パルクールのオリンピック化に絡んでる人のインタビューとそれを読んで改めて持論固めとく
Q&C
- 『パルクールとの出合いは11年の横浜』
- この時期って AoM だっけ?
- きゅーさんが当時の写真をアップしてる (RedBull Art of Motion 2011 Yokohama(1) | Q')http://qman.jpn.com/?p=1652 ← 盛り上がったよねこれ。
- 『16年春に会長選の選挙活動でスウェーデンを訪問した際、体操協会の管轄にパルクールがあるのを見て、国際体操連盟(FIG)にも取り入れるべきだと直感』
- 『スキー競技におけるスノーボードのように、体操競技にパルクールを加えることで互いに刺激し合い、ともに発展するウィンウィンの関係が築けるはず』
- 『あまりの急な展開に、関係者からは「侵略」などと反発する声が上がりました』
- 侵略ですね
- 『私は急きょパリに飛び、パルクールの創始者と呼ばれるベル氏らと面会……(中略)……パルクールを発展させたいという胸の内を熱く語り、理解を得ました』
- 『パルクールは生活の中で必要とされる身体を精神とともに鍛えるものです。この理念は体操に通ずるものがあり、今後は世界中に発展させていきたい』
- ただの競技ではなく鍛える側面がある、ってことがわかっていて、発展させていきたいという思いを持っている……悪い人ではなさそうだ?
- ふと思った。「鍛え方」としてイメージしてることが違うかも。たぶんこの人は「体操みたいに競技的に屋内で技を磨き続ける」をイメージしてるんだと思うけど、パルクールはそれだけじゃないと思ってる。たとえば屋外で色んな障害物と向き合うやり方もある。体操でたとえるなら「鉄棒ではなくブランコレールを使ってみる」とか「砂地や岩場を使う」とか、そういう感じ。
改めて自分の意見を書いておく
パルクール発展のために競技化が必要なのは私も賛成。ただ文化が競技パルクールで上書きされてしまうことを懸念しているだけ。
しかしながらオリンピックのように「誰もが知っているレベルの競技土台」にパルクールを持ち込んでしまうと、どうしても「パルクール≒競技」になっちゃう気がする。オリンピックでなくとも、同様の土台であればどこに持ち込んでも、そうなってしまう。そういう意味では 「そういうレベルの土台にパルクールを持ち込むこと」自体がダメなのかもしれない。
じゃあ、今までどおり、トレーサーしか知らないような(あとはレッドブル等が絡むような程度の)大会を開催し続ければいい?オリンピックみたく有名になることは諦めて、細々と活動していけばいい?
良いと思う。メジャーにする必然性はない、と思う。そりゃメジャーになればなるほど人口増えるし、知名度上がるしで色んな刺激が来るからありがたいけど、文化が上塗りされるリスクを背負ってまで欲しいかというと、そうじゃない。
歴史は、積み上げてきた文化は、尊重し継承するべきなのだ。 「どうせ使わないしジャマだから」という理由で歴史的建造物を取り壊してビルを建てたりはしないでしょう?
言い方を変えると、文化が生き続けられるならばそれでよい。何を以て「生きている」とするかが問題だけど、私としては「トレーサーならば誰もが知っている」程度は欲しいなと思う。仮にパルクールのオリンピックが実現したとして、その選手が「ダヴィッド・ベルって誰ですか?」「ADDって何ですか?」と問うようなことがあってはならない、って感じの目安かな。
結論: 競技化は賛成だけど文化を上塗りしちゃうのやめて。特にオリンピックレベルの競技土台だと「パルクール=競技」になっちゃうから、それ以外のパルクールが見えなくなる。迂闊に競技土台に入れちゃダメっすよ。
オリンピック化の中心人物が日本に居るということ
https://twitter.com/PosiTamaCh/status/907994611032846337
ノーポジションさんがツイートしている。
『トップが日本にいるなら抗議文よりJAMへの招待状を送ることから始まる相互理解。』